[いわれおしえ宗旨おこないやすらぎ]

本門の本尊本門の題目本門の戒壇

上記の写真は、身延山久遠寺にある日蓮大聖人の御廟所。

 戒律(かいりつ)という言葉をご存知でしょうか。「戒律がきびしい」というような使われ方をします。一言でいえば、仏道修行における邪非を防止する規則です。三蔵といって経・律・論の三種類の仏教典籍のうち、律蔵の中に書かれてある一々の規則が「戒」です。最も基本的な戒は、五戒という「殺生・偸盗・邪淫・亡語・飲酒」です。また小乗仏教の二百五十戒や五百戒は有名です。つまり身・口・意の三業にわたって悪を止め、清浄な仏道生活に励むことです。今時の言葉でいうと、行為と言葉と精神において邪悪を絶つということです。

 日蓮大聖人は、この戒律をどのように捉えられたのでしょう?「唯法華経を持つを持戒となす」と述べられています。これは、『法華経』の第11章見宝塔品の「この経は持ち難し、若し暫くも持つ者は、我即ち歓喜す、諸仏もまたしかなり。是の如き人は、<中略>是れを戒を持ち、頭陀を行ずる者と名ずく」によるのです。また大聖人は、「乗急戒緩(じょうきゅうかいかん)」という涅槃経の経文をよく引用されました。これは、一乗を広めることに急ぎ、戒を持つことに緩やかでかまわないということです。一乗とは法華経のことで、戒とは先の五戒や十戒等のことです。妙法蓮華経の五字を受持することを最も再優先させるということです。

 大聖人はもちろん厳格なる出家主義者であり、一般仏教でいう戒律も守られていたわけですが、身延山に入山されてから、体調をくずされ、よく薬代りにお酒を飲まれました。薬酒も飲まれましたが、清酒も嗜まれたことが伝わっています。このことに託(かこ)つけて、日蓮宗の僧侶の中(信者も)には、アルコールはいつ飲んでもかまわないんだとか。戒律なんてどうでもいいという方がいます。しかしそれは間違いです。大聖人は最も基本的な五戒のうち、「不飲酒戒(ふおんじゅかい)」をあえて破ることによって、乗急戒緩を示されたのです。(本化上行菩薩応現の大聖人ですから。にちかめもアルコールはほどほどにしときます。)また、妙法五字を間違いなく受持しかつ広めていれば何をしてもかまわないという人や団体があります。これまた問題外で、大聖人は常々その時代の世間の法律に遵守し、またその社会の倫理道徳等、今でいうエチケットなども含め、常識として守らなければならないと述べられています。

 さて、今までは「戒壇」の「戒」について説明してきました。次は「壇」です。これははっきりとしています。花壇というように、壇とは土を盛って作った祭場を意味します。すなわち、戒を授ける場所を意味します。つまり本門の戒壇とは、南無妙法蓮華経という本門の題目を授け、受ける側は、妙法五字七字の受持の誓いを立てるお堂を指します。また戒壇となる堂塔は、必ず国家によって建立されなければなりません。すなわち国立でなければならないということです。歴史的に見ますと、日本では、唐僧鑑真和上(688〜763)が来日して、天平勝宝六年(754)に東大寺大仏殿の前に建立されたのが有名です。現在も東大寺戒壇院として存在します。その後筑前観世音寺(福岡県)と下野薬師寺(栃木県)にも築壇されました。また、伝教大師最澄(767〜822)が大乗円頓戒壇建立を要請され、大師滅後七日目の弘仁十三年(822)六月十一日にその勅許を得たのです。いまも比叡山東塔に戒壇院として建っています。

 そこで、本門の戒壇ですが、このことについては不思議なぐらい大聖人は説明されていません。御遺文の中に「本門の戒壇」という言葉のみが四五箇所に見られる程度です。伝教大師が比叡山に法華経迹門の戒壇院を建立するのも容易でなかった事蹟からしても、大聖人は容易にご説明されることはなかってのでしょう。唯一このペ−ジの上に挙げました『三大秘法禀承事』においてのみ詳しく述べられています。ただし、この『三大秘法禀承事』は古来より真偽論争が喧しいのです。最も古い写本として、あの室町時代に日蓮宗の教線を拡張した鍋かぶり日親上人(1407〜1488)の写本が残っています。しかし、最近のコンピューターを使った解析では『三大秘法禀承事』は真蹟だと結論付けられました。もちろん、私にちかめもこの『三大秘法禀承事』を真蹟として扱います。

 戦後題目系新興宗教の中に、国立の戒壇ということで日本の過半数をとればいいのだろうと、国会に議員を送り出した教団がありました。日蓮宗内にそのアレルギーが蔓延して、学者の中にまでこの『三大秘法禀承事』を頭越しに偽書として扱う傾向が生じたのは甚だ残念です。『三大秘法禀承事』では、「勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん、最勝の地を尋て戒壇を建立すべきものか。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是也。」と述べられています。「勅宣並びに御教書」とは、天皇の勅命を奉じて下される公文書と摂関家または将軍家から出される公文書の意味です。現在においては、三大秘法の法門に帰依した為政者が私的にではなく、社会的に承認を得て、公的な形式によって建立されなければならないということです。すなわち国立博物館と同様国立になるということです。それがイコール国会に議員を送り込むということではありません。日蓮宗一人一人の教師や檀信徒が布教に邁進して、日本の大多数の人を信者にすればいいわけです。大聖人も「時を待つべきのみ」と述べられていますから、百年かかるか千年かかるかわかりませんが、甚だ時間がかかるのは必定です。それゆえ布教に精が出るというものでしょう。

 そこで、その暁に立てられる本門の戒壇堂の場所です。「霊山浄土に似たらん」とありますが、インドではありません。日本です。「おしえ」「国判」のところでも述べましたが、大聖人は『観心本尊抄』で「一閻浮提の第一の本尊、この国に建つべし」とされています。その場所は、日本の身延山です。大聖人が九年間過ごされ、しかも未来永劫にご自身の魂は、この身延の山に棲むと述べられています。日蓮門下の中また日蓮宗の中にも、本門の戒壇は富士山の裾野や麓に建立すべきであるとする主張があります。これは、六老僧の一人白蓮阿闍梨日興聖人のご意向です。その広大な裾野を地割りし、六万坊ヶ原という地名まで残っていると言われています。大聖人身延ご在住の頃、本門戒壇建立の暁を期して、富士山の途中まで行かれ経巻を埋められたという言い伝えがあると聞いています。しかし、史実としてはなかなか肯定しがたいものがあります。大聖人が富士山をどのようにお考えであったか、ということがキーワードでしょう。

 身延山の大本堂では、現在朝勤の後法主猊下から御経頂戴があります。「今身より仏身にいたるまで、よく持(たも)ちたてまつる。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。」と法主猊下とともに唱えます。これを少し変えて、「今身より仏身にいたるまで、よく持(たも)ちたてまつるやいなや?よく持ちたてまつる。本門の本尊・南無妙法蓮華経。本門の題目・南無妙法蓮華経。本門の戒壇・南無妙法蓮華経」とすれば、これで大本堂は本門の戒壇堂になるわけです。否、戒壇堂の基になるのです。日興聖人ゆかりの重須(北山)本門寺の棟板には、「法華本門寺根源」と書かれているのは有名ですが、そういう意味で身延山久遠寺こそ本門戒壇院根源といえるでしょう。例えば現在の御廟所横の御草庵跡などに本門戒壇院根源を建立し、そして大曼荼羅御本尊を奠定し、その前に本門の本尊である一尊四士を奉安し、さらにその前に大聖人読経像を安置するのです。本門の授戒がそこで行なわれるとしたら、なんとすばらしいことでしょう。東大寺や比叡山の戒壇院のようにそれほど大きな建物は必要ないでしょう。一天四海皆帰妙法の暁には、とてつもない大本堂を建立すればいいのです。

 さて、どうしても三大秘法の項目は話が長くなってしまします。私達の信仰は先ずお題目から入っていきます。信仰のない人がいきなり身延山へ来ても、それはただの観光にすぎないのです。「おこない」のところでも述べましたように、五つのことを念じて唱えるのです。上行菩薩の手を経た、久遠実成本師釈迦牟尼仏の智慧である南無妙法蓮華経信念の源泉です。つまり信仰の主体であり、信仰の対象へ向かっていくのです。それは、理想の根源である久遠実成本師釈迦牟尼仏の実体即ち大曼荼羅です。そこへ向かう間には、エネルギーが生まれ、行動となるのです。それが、信仰の道場身延山久遠寺に何度も参拝し、そのつど誓いを立てて行動の原点とするのです。世界中の一人でも多くの人に、純粋な大聖人の教えをこの私が広め、その人達に実践していただくという誓いです。

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