[いわれおしえ宗旨おこないやすらぎ]

本門の本尊本門の題目本門の戒壇

 上記の大曼荼羅は、鎌倉比企ヶ谷妙本寺にある俗にいう「臨滅度時の御本尊」と称されるものです。インターネット上にてその写真を掲載することはできませんので、それを活字化したものを掲載しました。日蓮宗宗定本尊でもあります。実寸、丈161.5cm,幅102.7cm。

 私達は、よく本尊(ほんぞん)という言葉や文字を聞いたり見たりします。例えば、四国八十八ヶ所霊場では、そのお寺の一番大きなお堂の前の掲示板に、本尊は大日如来、あるいは十一面観音だとか書いてあります。この様に世間一般では、そのお堂で一番大きくまた中心に奉安されている仏像と言う意味に使われます。

 日蓮宗というより日蓮聖人門下の各教団では、ことさらこの本尊ということに対して700年来こだわり、且つ各派各門流で論争し続けてきたわけです。先の「宗旨」のところでも述べましたが、本尊とは絶対的な信仰の対象であり、また理想の根源でもあると述べました。本尊とは一体何か?もう一度「本尊」ということをここで考えなければなりません。そのことについて江戸時代末期に出た、近世日蓮宗学の大成者と称される学匠優陀那院日輝上人(1800〜1859)の見解について少し触れます。

 「本尊」とは、古来三つの意味があるということです。一、「根本尊崇(こんぽんそんすう)」ということ。これは、言葉通り根本的に尊崇すべきものということです。すなわち信仰の対象であるわけです。二、「本来尊重(ほんらいそんちょう)」ということ。これも言葉通り、無始以来の過去より厳然として、本来尊重すべきものということです。一の根本尊崇と同じことであると思われますが、違うところは、信仰しない人にとっても本尊であるということです。例えば異教徒の牧師であろうが、人間以外の生き物にとっても、たとえ異星人であろうとも厳然として本尊であるということです。この辺が仏教以外の宗教では考えられないところでしょう。ですから、絶対的信仰の対象であるわけです。理想の根源であるのです。三、「本有尊形(ほんぬそんぎょう)」ということ。これは、遥かなる永遠の昔から未来永劫に続く尊い形相であるということ。尊いが故に、文字や像にして表そうということです。「偶像崇拝はしない」と誇る宗教がありますが、像として表そうという情が尊いのです。妙法蓮華経の五字は草木を始め、瓦や石までも成仏させるのです。有機物はもちろん無機物までも成仏させるのです。これを有情無情(うじょうむじょう)の成仏といいます。このことは成仏原理である一念三千で説明しています。

 日蓮宗ではこの本尊を表現する形態として、三つの様式がとられてきました。一つは、このペ−ジの上にある大曼荼羅という形式です。二つは、一塔両尊四士といって、真ん中の宝塔には、南無妙法蓮華経と書かれ、向かって左に釈迦如来、右に多宝如来が一つの蓮台に乗っていて、右に上行、無辺行のそれぞれの菩薩が、また左に浄行、安立行のぞれぞれ菩薩が奉安される形式です。また、これには文殊・普賢・四天王・不動・愛染の諸尊も添えられる場合があります。三つめは、一尊四士といって、真ん中に釈尊像を、向かって右脇に上行、無辺行の菩薩、左脇に浄行、安立行の菩薩を奉安する形式です。この三つの形式のいずれの場合にも、その前の中心線上に日蓮大聖人の御尊像と法華経八巻を乗せた経机が奉られています。もちろん、大聖人の御尊像は御本尊でないのは言うまでもありません。本化上行菩薩応現の大聖人の教えを通して御本尊を観なければならないということです。

 さて、上の二番目の一塔両尊四士形式は、大曼荼羅を具像化した形式です。本尊形態としては、いわば大曼荼羅形式と同じことであり、その形式に吸収されます。そういう意味から日蓮大聖人の本尊形態として、二つの形式に絞られるということです。大曼荼羅一尊四士です。これを法本尊仏本尊といいます。法という概念を基準とするのが大曼荼羅本尊論およびその論者です。仏像を基準とするのが一尊四士本尊論およびその論者です。この両論の優劣について、日蓮宗では古来よりそして戦後も引き続き論争の種となっているところです。(残念ながら日蓮宗の一般教師においてはその限りではありません。)

 両論の根拠となる大聖人の御遺文を引用することは、ここでは長くなりますので省きますが、一つだけ挙げたのがこのペ−ジの上の大曼荼羅の下に示した『報恩抄』の一節です。「本門の教主釈尊を本尊とすべし。」とありますので、これはもう一尊四士です。上行等の四菩薩を脇士とするのです。しかし、そのあとすぐ「いわゆる・・・」と続き、すぐに「宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏、並に上行等の四菩薩脇士となるべし。」と述べられていますので、これは大曼荼羅に他なりません。また大聖人の最も大事な書の『観心本尊抄』でも、本尊段では大曼荼羅、流通段では一尊四士となります。日蓮宗から発行されている勧学院監修の『宗義大綱読本』では、「一尊四士と大曼荼羅とは大聖人の内意においては同一御本尊の異表現に外ならない」とし、「どちらの表現を本尊として安置するかは行者の環境によるところであって、何れが正、何れが副でもない」とされています。また立正大学の庵谷行亨先生は、法華経の教相門に立脚すれば一尊四士本尊、観心門に立脚すれば大曼荼羅本尊になるとされ、その場合教観不二とされています。しかしはたしてそうなのか?大曼荼羅と一尊四士は=(イコール)で結ばれるのか?そうです。ここに問題点がありかつ重要な点といえるのです。

 私にちかめの結論から申します。大曼荼羅の方が一尊四士より完全な本尊(不完全な本尊があるのかというお叱りを給わりそうですが、なかなか表現が難しい。一尊四士を妙略の本尊ということを聞いたことはあるが)といえるのではないかということです。どれだけの違いなのか?大聖人のお言葉をお借りすると「竹膜を隔たり」とあるぐらい違いがあるように思います。やはり大曼荼羅が一重深い本尊です。このペ−ジの項目である「本門の本尊」は三大秘法の一つとしての本尊です。その場合本門の本尊としては大曼荼羅と一尊四士は「一法の異表現」といえるし、同体といえます。しかし、先の優陀那日輝師の本尊の意味合いや理想の根源として考えた場合、本尊とは、この大宇宙のすべての存在の中で最も根源的なものでなければなりません。その場合どうしても大曼荼羅でなくてはならないのです。

 話は変わりますが、真言宗に法華絵曼荼羅があるのは有名です。しかも大聖人以前からあり、もちろん大聖人も比叡山や高野山でご覧になったのです。なぜ大曼荼羅を文字でとして表されたのか。法という目に見えない概念を純粋に伝えるには、絵や像より文字の方がよりよいからです。「法に依って、人に依らざれ」と大聖人はその御遺文の中で何度も述べられています。法本尊である大曼荼羅の方が上であるわけです。仏像の木や石もすべて「釈尊因行果徳の妙法蓮華経の五字」によって成仏するのです。また、大聖人は文永十年(1273)4月25日佐渡一谷で『観心本尊抄』を書きあげられた後、その7月8日に始めて大曼荼羅をしたためられたのです。それ以後123軸の大曼荼羅御真筆は現存していますが、一尊四士に関しては、自ら木造として彫られた事実はないわけです。まあ、確かに一尊四士を大聖人が御在世当時開眼されたということは伝わっていますが・・・。

 話を元に戻します。大曼荼羅本尊論者と一尊四士本尊論者を考えた場合、日蓮宗を除き、伝統的な日蓮門下各派各門流において、例えば富士派である日蓮正宗、日蓮本宗は勿論、法華宗本門流、真門流、陣門流の三派をはじめ、顕本法華宗、本門法華宗等における七百年来の学僧の中で、ほとんど大曼荼羅本尊否定論者がいないとうことです。日蓮宗では、茂田井教亨先生のお話によると、望月歓厚先生との雑談の中で、「曼荼羅、あれはお守りだよ」と述べられた有名なエピソードが有ります。しかし、上の大曼荼羅の実寸を見たらわかりますが、これほど大きなものをどう折り畳んでも、袂や袖に入るわけがありません。

 日蓮宗では、本尊あるいは本門の本尊として、大曼荼羅か一尊四士かと議論してきたわけです。その場合大曼荼羅と一尊四士は「一法の異表現」でしょう。しかし、大曼荼羅は本門の本尊は勿論、本門の題目、本門の戒壇も含むというのが、ここでの結論です。その根拠としては、現存する123軸の大曼荼羅のうち、千葉県保田妙本寺に在るとされる大曼荼羅の御讃文では「大本尊」とあり、上の鎌倉比企ヶ谷妙本寺の大曼荼羅を始め残りの大部分(御讃文のない曼荼羅を除く)の曼荼羅では「大曼荼羅也」と記されています。これはその保田妙本寺の大曼荼羅が特別な本尊として価値を有するものでなく、大曼荼羅という意味の中に大本尊という意味を含むものであると、私にちかめは考えていたわけです。その後発行された山中喜八氏著『日蓮聖人真蹟の世界』上巻に、「筆者は一個の擬案に逢着する。それは、<大曼荼羅は、一旦開出した三秘を再び一図に統会されたものではあるまいか>という一事である。すなわち<大曼荼羅は三大秘法を輪円具足して図顕されたもの>とするのが、筆者の懐いている信解である。」とされ、また山川智応博士の『本門本尊論』を引用され「この大曼荼羅本尊こそ、本門本尊を示したまうたものであるとともに、本門の題目も、本門の戒壇も、おのずからその中に示されているのである」とし、山中氏がすでにその説を発表されていたのを知り、私にちかめは大いにうれしく思った次第です。氏が言うように、結論として、一尊四士を「本門の本尊」と呼び、大曼荼羅を「大曼荼羅御本尊」と称して、一応の区別をすることに賛成であります。

 さてさて、話が非常に長くなりましたが、どうせここまでこのペ−ジを読んでいるのは、ほとんど日蓮宗関係の人達でしょうからあえて言います。日蓮宗では「本尊とは何か」とうことについて比較的長い間論争されてきましたが、「大曼荼羅とはなにか」という方向からの考察はあまりされませんでした。まあわかりやすく一言でいうとそれは、遥かなる永遠の実体・久遠実成の本師釈迦牟尼仏のお心模様であり、ご精神でもあります。そして今後専門的には、たとえば台密の方面からの研究等が待たれるところといえるでしょう。

 また、本門の戒壇のところで詳しく述べますが、本門の戒壇堂が身延山に建立された暁には、とてつもなく大きい大曼荼羅を奠定し、その前に本門の本尊である一尊四士を奉安し、その前に大聖人の御尊像が安置されなければなりません。海外をはじめ、新たに建立される寺院においても、その本尊勧請形態がベストでありましょう。なお、大曼荼羅本尊論者もしくはその門下門流では、一尊四士や一塔両尊四士の仏像をはじめ、大聖人像さえ奉安してはならないという主張があります。この主張に関しては最早問題外であります。大聖人はいわゆる偶像崇拝を否定された形跡もないし、立像釈尊を伊豆流罪中に持仏にされ、また身延山まで所持されていた事実があります。大曼荼羅を奉るほか、仏像や祖師像を一切奉ってはいけないという考えは、明治以後に日本に入ってきた西洋的なものの考え方であり、唯物論的といえるでしょう。

 もしも日本中のすべての寺院が、そのような大曼荼羅を奉る他、仏像や祖師像を一切奉ってはいけない宗教に改宗してしまったと仮定しましょう。その場合、他宗の例えば大きな阿弥陀如来や不動明王をどうするでしょう?重要文化財のような仏像はおそらく国立や県立の博物館へもって行くのでしょうが、美術的に価値のないものはゴミとして投棄されるでしょう。しかし、それでは偶像崇拝を否定するからといって、石仏等の顔を削り取った中近東の宗教と同じではないでしょうか。つまり外道と同じです。それらの仏像や諸菩薩諸天像の再後背面のに大曼荼羅を奠定するのが、純粋な大聖人の教えであります。(大聖人御在世当時、浄土教が急速に広まり、それによって村の釈迦堂の釈尊像はどんどん廃棄され、そのことを嘆かれた御遺文を多く見受けられます)もちろんその時の本尊は、その阿弥陀仏ではなく大曼荼羅です。このようなことは、おそらく日蓮宗を始め日蓮各派および題目系教団においても考察や議論されたことはないでしょう。なお、蛇足になりますが、日蓮宗の教師の中で、例えば鬼子母神堂や妙見堂において、そこに奉られている本尊は鬼子母神様であるとか、妙見菩薩であると言ったり、掲示板に提示している寺院においても、先の大聖人像さえ奉安してはならないという宗教と同じぐらい問題外であるのは言うまでもありません。

 最後になりましたが、私にちかめの住む妙法山蓮城寺の本尊勧請形態は、宗定大曼荼羅御本尊であり、その前に一塔両尊四士を奉安しています。またその本堂須弥壇の真後ろの回廊にある納骨堂の祭壇では、同じく宗定大曼荼羅御本尊と一尊四士を奉安しています。日蓮宗には、大曼荼羅と一塔両尊四士は同じことだから、大曼荼羅は必要ないとよくいう学者もいます。しかし、先の結論からも言えるように、大曼荼羅は絶対的に必要なのです。例えば「3.1」という数字だけでは何のことかはわかりません。「3.141592853・・・」と書けば何となく円周率とわかります。しかしそれを「π」と書けばすぐに円周率のこととわかるのです。「π=3.14159」です。もちろん「3.14159」が一塔両尊四士でπが大曼荼羅です。教学あるいは教化学を理解するとはそういうことです。

 まあ、私にちかめも長々とここまで述べてきた次第ですが、ご意見ご異論等もありましょう。また私の考えの中に是正しなければならない点もあるかもしれません。今後とも真面目に真摯に純粋なる大聖人の教えを研鑽し、それをわかりやすく伝えていきたいと思っています。おそらく、ここまで読んでこられた方は日蓮宗系教団あるいは題目系教団の関係者ばかりと思いますが、本当はまったくどこの信者でも何でもない方、一般社会でインテリといわれる三十代までの若い方に、この大聖人の深い教えを理解していただきたいと思います。そして専門用語を使わずにわかりやすい文字やイラスト(3Dで描けたらなぁ)を始め、世界中にあるどこの宗教教団も用いなかった布教方法(例えば人手を通さず、法が法を伝えるとか)で、この信念の源泉南無妙法蓮華経の五字七字を伝えていっていただきたいと思います。また、それがこのホームペ−ジを開設した目的でもあります。

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