[いわれおしえ宗旨おこないやすらぎ]

 とは、国家という場合のその国の組織をさすのでなく、妙法蓮華経の教えが広まる場所をいいます。「いつ」「どこで」「だれが」という「どこで」その教えが説かれるのかということです。『法華経』の第23章の薬王菩薩本事品に「我が滅度の後、後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して断絶せしむることなかれ。」と説かれ、閻浮提(えんぶだい)とは仏教的世界観で私達生きるものすべてが住む世界全体を指します。つまり、宇宙全体にこの法華経を広めなければならないということです。

 また、日蓮大聖人は「日本国は一向大乗の国なり。大乗の中にも法華経の国たるべきなり。瑜伽論・肇公記・聖徳太子・伝教大師・安然等の記これあり。」と述べられ、日本国が法華経有縁の国であることは論書や法華経の翻訳に係わった僧肇(384〜414?)の手記や日本に仏教を伝えた聖徳太子(574〜622)の書物に記載されているということです。つまり日本を起点としてこの妙法蓮華経を広めていかなければならないということです。本化上行菩薩応現のその人大聖人が、日本の今でいう千葉県の房総半島に生を受けられたわけですから当然といえば当然です。

 日本を起点として法華経を広めていかなければならないということは、今日的な表現をすると、日本が出発点であり、発信地でなければならないということです。この場合注意しなければならないのは、日本の人々までがその起点となることではありません。日本には法華経も仏教も宗教も信じない人がたくさんいます。もちろん大聖人の教えからいうと、その人たちは謗法の者達であります。日本人あるいは日本に住む人々が、決して選ばれた人達ではないということです。くれぐれもご注意を。

 日本国土が法華経にご縁があるとういことは、専門用語で本国土妙(ほんこくどみょう)といいます。大聖人は『観心本尊抄』に「一閻浮提の第一の本尊、この国に建つべし」と述べられ、日本が聖地であり、第一のご本尊を奉安する建物は必ず日本に建立しなければならないということです。このことについては本門の戒壇のところで詳しく述べています。また、大聖人は『教機時国抄』の中で、法華経を広めるには、その国は大乗仏教に縁があるのか、小乗仏教ゆかりの国か。また異教徒の国か。しっかりと調べて、この法華経を広めなさいと述べられています。すなわちその国の宗教状況を分析してお題目を広めなければならないということです。そういうことからしてこの国判は現代的にいうと宗教民俗学的考察といえるでしょう。

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