蓮城寺(宮寺)のいわれ このお寺は、妙法山蓮城寺(みょうほうざんれんじょうじ)といい、日蓮宗(総本山身延山久遠寺)に所属します。はじまりは天平年間(729〜749)にさかのぼり、この土地には氏寺・若江寺があったとされています。平安時代には比叡山延暦寺第十三代座主尊意僧正が若江寺に寄宿したことが伝記『尊意贈僧正伝』等によって知られます。おそらく天台宗系寺院として、また現在隣接する若江鏡神社の神宮寺として栄えたと思われます。
その後いつしか若江寺は衰退し消滅したとされますが、南北朝時代には当地に若江城が築かれ、永禄年間(1558〜1569)には若江城主三好義継公の菩提を弔う香火寺として興隆していたとも伝わります。しかし、天正元年(1575)の織田信長公による若江城落城には若江寺も無住状態となり、ことに元和元年(1615)の大坂夏の陣には、木村長門守重成公の本陣が近くに構えられ、当地は戦場と化しました。その間堂塔伽藍の焼失を繰り返し、いろいろな宗派の遊行僧が再興をはかろうとしたことが伝わっています。
元禄六年(1693)現在の京都市左京区にある日蓮宗本山頂妙寺第十四世および千葉県市川市にある日蓮宗大本山中山法華経寺第三十九世になられた蓮性院日相上人が隠居するに際し、当地の因縁と若江寺の由来を惜しんで私財を投じ、堂宇を建立して復興いたしました。その時に寺号を蓮城寺に改め、以後日蓮宗寺院として現在に至ります。
境内地には、日蓮聖人生誕七百五十年を慶讃して、昭和四十三年に建立した鉄筋建ての本堂、明治時代霊験顕著なことで近在の人々の信仰をあつめた当山十二世真光院日養法尼建立の妙見堂があります。また、山門を入って右脇の位牌堂には大坂夏之陣木村重成公の位牌を安置し、その霊牌所として有名です。通称、宮寺(みやてら)と呼ばれています。