[いわれおしえ宗旨おこないやすらぎ]

 師(序)とは、「いつ」「どこで」「だれが」という「だれが」法華経を広めるのかという部分です。その前にとは、先の教・機・時・国を総合的に考察した結果、法が広まる順序を認識しなければならないということです。仏教あるいは宗教というものが広まっていく過程において、歴史的な順序を客観的に分析し、その上で法華経を広めなくてはならないということです。その順序次第を知った者だけが、この妙法蓮華経を広める資格を得るのです。

 日蓮大聖人は、伊豆流罪中の『教機時国抄』では「必ず先ず弘まる法を知って後の法を弘むべし」と述べられていましたが、佐渡へ流罪されてからの第一書の『富木入道殿御返事』では「天台・伝教はほぼ釈し給へどもこれを弘め残せる一大事の秘法をこの国に初めてこれを弘む。日蓮あにこの人にあらずや。」と述べられ、上行菩薩応現その人のご自覚をほのめかされるのです。つまり、序判→師判と移っていくのです。

 大聖人に踵(くびす=かかとのこと)を接して来たる数々の迫害や受難。それらの体験や事実なくして上行菩薩応現の人は存在しないのです。理論(理証)や文献(文証)だけで語るのは本当の宗教とは言えません。先の四つの教・機・時・国の判だけでは机上の法華経解釈学としか言えないでしょう。中国仏教史や日本仏教史上に、法華経を解釈し、膨大な著書を残した学僧はごまんといます。しかし、法華経の第十六章如来寿量品の「使いを遣(つか)わせて還(かえ)りて告ぐ」の「使い」の解釈では、天台大師以前では仏舎利や神通力と理解し、四依の菩薩と解釈した学僧はいません。生きている経文・呼吸するお経・妙法蓮華経に吸い込まれるかのように大聖人は、釈尊の本懐である法華経の広まる順序次第を知り、気がつけば寒風吹き荒む佐渡ヶ島の、死人を捨てる処にある一間四面の塚原三昧堂で、上行菩薩応現の自分自身と対面していたのです。

 このように大聖人の実践(現証)によって、はじめてその教理に宗教性が満ち溢れ、ここに理証・文証・現証の三証が具足するのです。この序判を現代的にいうと宗教史学的考察であり、師判宗教体験といえるでしょう。 ですから、いま世間のテレビや雑誌で宗教評論家がよくコメントしていますが、そういう意味からして信仰経験のない評論家のコメントはただの空論にすぎないといえるでしょう。また邪教のマインドコントロールから目覚めさすためにも、現象によって証明された大聖人の教えでなくてはならないのです。

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