[いわれおしえ宗旨おこないやすらぎ]


急ぐ人はお読みください

 およそ仏教各宗派には、いずれの宗派にもその宗派を成立せしめる価値体系があります。それを仏教用語では教相判釈(きょうそうはんじゃく)、略して教判(きょうはん)といいます。例を挙げると、天台宗の五時八教判、華厳宗の五教十宗判、浄土宗の聖道浄土二門判、真言宗の顕密二教判、真宗の二双四重判などが知られています。しかし、既成仏教のほとんどの宗派では、このことについてそのお寺のしおりで説明されたり、お坊さんのお説教から聞けるということはないのです。インターネット上の寺院のホームペ−ジを見ていただければそれがよくわかります。その寺にある美術的にすぐれた仏像や庭園の説明や行事等の案内がされているだけです。お説教がされていても、ほとんど人生訓のようなものばかりで、何宗でも共通するような法話です。すこし自宗の教えを説いているのは真宗系の宗派ぐらいです。伝道教団といわれた日蓮宗をはじめ日蓮系の宗派においても例外ではありません。輪廻転生(りんねてんしょう)の転生を「ていせい」と読む各局のアナウンサー。それに対し何等是正も求めない仏教界。最早釈尊の教えは、風前の灯(貧女の一灯ではありませんよ!!)といえます。そこでこのホームペ−ジを、妙法蓮華経とは何かということもありますが、仏の教えを絶えさない為にも少し時間をかけて制作しました。そういう意味からして本当は、すぐにでもハードディスクに保存して、あとでじっくり読んでい頂きたいのが製作者の意向です。

 さて、日蓮聖人の教判は一般に五綱(ごこう)[あるいは五義ともいう]三秘(さんぴ)の教判といわれます。それを短時間で捉えるには、このホームペ−ジの[いわれ]→[おしえ]→[宗旨]→[おこない]→[やすらぎ]の順で読んでいただければおよその理解ができるでしょう。その場合専門用語の説明は後回しにするといいでしょう。また日蓮宗宗務院からはその宗要を簡明にのべた綱要「宗義大綱」(しゅうぎたいこう)が発行されていて、下記にそれを記載します。それによってもおよその宗義の体系が短時間で把握できると思います。なお、それを解説した『宗義大綱読本』(本体価格1,500円)が 日蓮宗新聞社から出版されています。


日蓮宗宗義大綱

1、宗義の体系

 日蓮宗は、日蓮聖人が信解体得せられた法華経を、本宗における理・教・行・証の基本とし、これによって五綱(ごこう)と三秘(さんぴ)を構成し、もって宗義の体系とする。

2、五綱の意義

 五綱は、日蓮聖人が法華経を信解体得せられるに当り、考案の基盤とされた(きょう)・(き)・(じ)・(こく)・(し)[序](じょ)の五箇の教判であって、教と理とを明らかにする。更にそれは、宗教活動における自覚と弘教の方軌を示すものである。

は、一念三千(いちねんさんぜん)を包む法華経寿量品(ほけきょうじゅりょうほん)の肝心、南無妙法蓮華経をいい、五重相対(ごじゅうそうたい)・四種三段(ししゅさんだん)等の教判によって詮顕されたものである。

は、教が与えられる対象で、末法の凡夫をいい、等しく下種(げしゅ)の大益(だいやく)を享受する。

は、教と必然的に相応する末法今時の意味である。

は、教の流布(るふ)する場であり、日本を始めとする全世界が国である。

は、教・機・時・国の意義と次第とを知り、これを自覚し、実践する仏教者である。

3、三秘の意義

 三大秘法(さんだいひほう)は、本門の教主釈尊(きょうしゅしゃくそん)が末法の衆生のために、本化(ほんげ)の菩薩に付属された南無妙法蓮華経の一大秘法に基づいて、開出されたものである。日蓮聖人は、この一大秘法を行法として「本門の本尊」(ほんもんのほんぞん)・「本門の題目」(ほんもんのだいもく)・「本門の戒壇」(ほんもんのかいだん)と開示された。末法の衆生は、この三大秘法を行ずることによって、仏の証悟に安住する。

本門の本尊は、伽耶成道(がやじょうどう)の釈尊が、寿量品でみずから久遠常住(くおんじょうじゅう)の如来であることを開顕された仏である。宗祖は、この仏を本尊と仰がれた。そして釈尊の悟りを南無妙法蓮華経に現わし、虚空会上(こくうえじょう)に来集した諸仏諸尊が、その法に帰一している境界を図示されたのが大曼荼羅(だいまんだら)である。

本門の題目は、釈尊の悟りの一念三千を南無妙法蓮華経に具象したものである。仏はこれを教法として衆生に与え、我等凡夫は、これを三業(さんごう)[身口意(しんくい)]に受持して行法を成就する。

本門の戒壇は、題目を受持するところにそのまま現前する。これを即是道場(そくぜどうじょう)の事の戒壇という。四海帰妙(しかいきみょう)の暁に建立さるべき事相荘厳(じそうしょうごん)の事の戒壇は、我等宗徒の願業であって、末法一同の強盛の行業によって実現しなければならない。

4、信行の意義

 本宗の信行は、本門の本尊に帰依し、仏智の題目を唱え、本門戒壇の信心に安住するを本旨とする。機に従って、読(どく)、誦(じゅ)、解説(げせつ)、書写(しょしゃ)等の助行を用いて、自行(じぎょう)、化他(けた)に亘る信心を増益せしめる。

5、成仏の意義

 本門本尊への信は、成仏の正因であり、その相は口業(くごう)の唱題となり、身業(しんごう)には菩薩の道行となる。この菩薩道に即した生活活動がそのまま成仏の相である。

6、霊山往詣

 来世は、現世と相即する。現在の即身成仏は、来世成仏の意義をもつ。妙法信受の当所に成仏が決定し、霊山の釈迦仏のみもとに在るのである。故に霊山往詣(りょうぜんおうけい)は未来のみのものでなく、現身のわが信心の場にある。宗祖はこの境界を大曼荼羅に図顕された。

7、摂受と折伏

 折伏(しゃくぶく)は邪見・邪法に執するものに対して、これをくだき、正法に帰依せしめることであり、摂受(しょうじゅ)は寛容なる態度をもって正法に導き入れることである。かように、この両者は、教を弘める方法であるが、その精神は共に大慈悲心に基づかなければならない。しかも破邪が顕正の為の破邪であるように、折伏と摂受にはその行用に前後があり、また機によっても進退がある。

8、祈祷の意義

 いのりは、大慈悲心に基づく真実の表白である。本宗の祈祷には、自行と化他に亘って、成仏のいのりと生活のいのりがあるが、後者といえどれ信仰生活の助道となるものでなければならない。

9、宗祖

 宗祖は、みずから本化上行(ほんげじょうぎょう)の自覚に立ち、仏使として釈尊と法華経への信仰を指示された宗徒の師表であり、直道を導く大導師である。

10、出家と在家

 出家と在家とは、信仰に両者の別はないが、その使命を異にする。出家は専ら伝道教化を使命とし、自己の信仰を確立するとともに、進んで宗教者としての行学の二道をはげむべきげある。在家は、信仰を世務に生かすことに務め、分に応じて出家の伝道を扶けることが、仏道を行ずることである。

以上

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